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『太宰治 作品』



『もの思う葦』(太宰治) 太宰 治
『太宰 治』作品

執筆日 2020年 11月28日   最終更新日 2020年 12月15日


えー… 当初は このページ、
「太宰治」について 軽く説明して、
作品タイトルを紹介するだけの
つもりだったのですが…

自分の中の『太宰』愛
抑えられず、
とんでもない長文ページ
なってしまいました
(苦笑)





という事で、
「御託(ごたく)はいいので、
太宰作品のタイトルや、
商品リンクだけ 見せてほしい」

という方は、

一番下までスクロール
してくださってもOKです。


それでは 始めましょう。




■『太宰治の言葉の持つ、
鮮烈な破壊力』



自分にとって、
『自分の それまで人生の見方に
大きな衝撃を与え、
以降の言動に 大きな影響や支えと
なってくれている名作』

多数 存在します。


が、その中でも
特に大きな ターニングポイント
の 1つとなったのが、

今回 ご紹介する
『太宰 治』作品の 数々
との 出会いでした。





『太宰 治』
(だざい おさむ)


今さら改めて説明するのも
気恥ずかしいほどの、

日本を代表する「私小説家」
(自分自身の経験を小説にする
タイプの作家)
であり、


その『ギリギリにまで
研ぎ澄まされた言葉たち』


作者『太宰 治』からの
『血を吐くような語りかけ』は、

読む者の
薄っぺらい虚栄
フッ飛ばし、

「脳」と「心」
深々と突き刺さって
それらをえぐり、

『自分自身の 深い深いところに
押し隠してきた本心』
への 問いかけを
呼び起こさずにおれない


骨太の破壊力
有しています。






■『太宰治? ああ、あの
「社会不適合」作家(笑)



しかし、20代後半ぐらいまでの
僕自身は 正直なところ、

「太宰」作品を 小バカに
していた
というか、

『社会不適合者の「泣き言」集』
ぐらいにしか
考えていませんでした。




「太宰 治」という
人物についても、

『世の中の 怠け者な
マイノリティ(少数派)の
泣き言を代弁することで、
そうした ごく一部の人間に
もてはやされていた、

コスズルい作家』
程度に 考えておりました。



それは もちろん、

愚かな僕自身が
『他者からの伝聞を鵜呑み』
にした結果
です。


当時の僕は 恥ずかしながら、
ただの1篇も、太宰作品を
まともに読んでは
いなかった
のですから…





ところが、
2000年ごろから WEBサイト作り
ハマった自分は、

その中で
「有名だけど、それに値しない
痛々しい作品・商品」に
(ゲーム中心)
ツッコミを入れる
という、

当時 流行った
ナナメなコンテンツ 制作に
明け暮れるようになりました。



そんな日々が1年ほども続き、
さすがにネタが尽きてきて
マンネリを感じていた ある日、

たまたま古本屋で目にしたのが、
『太宰治』作品の一部
(きりぎりす・ろまん燈籠)
だったのです。


自分の若さ・弱さに向き合えず、
「我こそ、世の中の不幸者」
だと 信じ込んでいたという、


「思い上がりの塊」であるらしい
この男の青臭い作品たち
を、

うちのサイトで笑い者にしたら、
さぞや面白いんじゃないか!?

と 閃いた僕は、

嬉々として それらを買い込み、
意気込んで帰宅した のでした。






■『太宰作品は、
読みづらい』



さて、

そんな 邪(よこしま)な動機
『太宰作品』に 初挑戦
なった自分でしたが…

しょっぱなから
暗礁に乗り上げて
しまいました。



『文章が 読みづらい』
のです。





そもそも「太宰作品」は
昭和初期 の頃の作品なので
当時の文体表記に
慣れる必要があります
し、

「太宰」独特の 構成や表現
に ぶつかっては
首をひねり、

さらに 作中に突然
「作者自身の 意見・感想」が
顔を出したりする
ので
大混乱


最初の頃は、
1日 数ページ読んだら
ギブアップ
でした。





それでも、

子供時代に
町内の図書館で読みあさった
漫画『のらくろ』で つちかった(笑)
昭和初期の 言葉表記
思い出したり、

何度も同じ箇所を
読みかえすことで、

少しずつですが
「太宰的 表現」にも
慣れてきました。




登場人物(基本的に太宰本人)による
『他者や 世の中への 泣き言』を、

「青臭いねぇ」みたいな
ニヤニヤ顔で
スラスラ読めるぐらいには、
なってきたのです。






■『本当に太宰作品は
「青臭い」のか?』



ところが、
そうやって2週間ほど
経ったある日…

ふと、
自分は気づいたのです。



『これは、自分が
思い描いていた小説とは
違うのではないか…??』
と。





当初こそ、
「太宰の泣き言」を
鼻で笑っていた

自分でしたが、

読めば読むほど
「ある1つの事実」
認めざるをえなく
なってきたのです。



僕は今まで
「自分自身」のことを、

「太宰の泣き言を
ぶつけられる側の人間」

だと思っていました。



しかし、
違った のです。





僕は
「太宰と同様の泣き言を感じ、
発するべき側の人間」



『太宰サイドの人間なのだ』
という事実に、
気づいてしまったのです。






■『太宰治が代弁しているのは
「少数派の 泣き言」ではなく、
「多くの人々が 心の奥底に
封じている 本音」』



それと 気がつくと、

『太宰治は、
マイノリティ(少数派)の
泣き言の代弁者』
という
自分の当初からの印象にも、
疑問が わいてきました。



太宰が「代弁」しているのは
本当に『少数派』の意見
なのか…?



むしろ、
『世の中の 大多数の人々』が
抱いている それ

ではないだろうか?





「泣き言」どころか、

社会の中で暮らす
ほとんどの人々が、
そこで(表面上)円滑に
生きていくために、
心の奥底に 必死にしまい込み、
押し殺している『本音』


『常識とされているものへの
率直な疑問・指摘』

なのではないか?



太宰の悲嘆の源は、
「個々人の善悪」を 越えた、

もっと根源的な、
『生物としての善悪』
(生存欲求)に
根差しているもの

なのではないか?


そんな数々の事実に、
次々と気づきはじめたのです。





しかし、
今 リアルタイムに
人間社会に生きる

我々にって、

『太宰が代弁してくれている内容』
を 口にしたり
理解してしまうことは、
「大変な危険」を伴います。



「内容が間違っているから」
ではありません。


それが
『事実・本質』だから

です。



「事実・本質」だからこそ、
社会に適合するために
必死に「自分個人の心の声」を
押し殺して


社会に溶け込もうと
躍起になっている人々

にとって…


いや、それ以前に、
「自分自身」にとっても、


今の自分たちが
日々 当たり前のように
行ってしまっている
『怠惰・逃避・すり替え』
容赦なくあぶり出す、
『凶悪な破壊力を持った
巨大ブーメラン』

となって、

深々と突き刺さって
しまう
からです…





ちなみに 自分は当時、

本当にたまたま、
太宰作品と同時に
『心理学』『大脳生理学』
などの本を
チラ読みするように
なっていたのですが…



太宰作品
「昭和の初めごろ」という
古い時代に書かれたもの
であるにも関わらず、

それらを
現代知識に照らしてみても
全く矛盾しない
ばかりか、

『よくぞ ここまで、
正確・客観的に
人間心理を描写できたものだ…』




と、震えを感じるほど
的確 であったことを、
付け加えておきます。




■『太宰治を毛嫌いする人々の
「心の正体」』
(本当の卑怯者は どちらなのか?)



ここに至って、

自分は 悟らずに
おれませんでした。






太宰作品一部の人間に
異様に嫌われ


「あれは社会不適合者の泣き言だ」
と 笑い者にされる
のは、

そこに書かれている内容が
『彼らにとって都合の悪い、
「事実・本質」だから』

なのだと。



太宰作品を通じて
自分たちの人生が
虚飾に まみれた
マガイ物に過ぎなかったと
「自覚」させられる


あるいは
「他者に看破」される ことを
極度に恐れる 一部の人間が、

それゆえ
『過剰なまでに 太宰作品を
否定・攻撃していた』

のだと。




つまり彼らは、
『鏡』を 見たくない
のです。


「虚飾を廃した 現実」
「本物の等身大の 自分自身」を、
残酷なまでにストレートに
突き付けてくる


「太宰作品」という
『1点の曇りなく
磨きこまれた鏡』

直視したくないばかりに、


『太宰治』という
作家(人間)そのものを
否定し、攻撃して、


憐れな「自己正当化」に
立てこもっていただけ

なのです。






また、
こうした考え方
あります。


これだけ
「自分自身や他人を客観視」
できるようになる『教材』

世間に広まると、

その結果、
「裏で」困る人々も
出てくるのだろうな…

という見方です。



たとえば 集団内で、
周りのメンバーを
適当にオダてるなどして、
リーダーを気取っていた小者


あるいは、

部下や国民を「無思考」にして、
自分に都合のいい「奴隷」として
扱いたいだけの、
一部の企業トップや
一部 政治家など
にとっては…



『太宰作品』のような、

人々の目をさまし、

その「思考力」を上昇させ、

相対的に
「今 リーダーを気取っている人間の
ウソや操作を白日のもとに
晒してしまう存在」
は、

非常に厄介な
『目の上のタンコブ』

であるはずです。






「太宰治」が
社会不適合の卑怯者

なのではなく、

「太宰治を 否定したがる人々」
こそが、

「社会ルールを
自分に都合よく運営」

したり、

「社会に適合するために、
自分自身を捨て去った」


『利己主義で 思いあがった、
卑怯者たち』
だったのです…




(そして それは、
かつての僕自身でもあるのです)




■『太宰作品の読み方と、
おすすめの書籍』



以上、

長い長い
『僕の 太宰への思い』
お付き合いくださり、
本当に ありがとうござました。


最後に、おすすめの
「太宰作品の 読み方」

について
お話ししたいと思います。





太宰作品は たしかに
珠玉の名品ばかりですが、

先述の通り
読むのに ある程度の苦労
が ともないます。


そこで、最初のうちは
『短編が多く含まれていて、
比較的 サクサクと
読み進められるもの』

から 始められることを
オススメいたします。



『走れメロス』
『人間失格』

あたりは
たしかに有名ですが、

これらは ボリューム的に、
中編・長編 に あたります。


太宰作品には、
「1 〜 数ページで
読み終われる短編」が
かなりの量 存在する
のです。

(もちろん、それらは
「本」としてまとめられているので、
1冊1冊自体は
200ページ前後あります
が)




太宰治の 短編
読まれた あなたは、

その「短さ」に 驚く一方で…

その中に 恐ろしいまでに
濃縮された
『人生訓』の 鮮烈さ
にも

深く 大きな衝撃
体感されることでしょう。





比較的 短編の多い
書籍(新潮文庫)
としては、
下記が あげられます。

『もの思う葦』
『晩年』
『きりぎりす』
『ろまん燈籠』
『お伽草紙』
『新樹の言葉』
『津軽通信』
『グッドバイ』



個人的には
『もの思う葦』
強烈にプッシュします。






■『太宰作品は、光』


あなたが、

世の中や 自分自身の
『事実・本質』に
本気で出会いたい!

と 願うとき…

ぜひ、『太宰作品』
ひも解いてほしいです。



第二次大戦の終戦から
わずか3年ほどで命を絶った、
40才にも満たない
若い作家の 血の叫び
が、

時代を越えて、
あなたに『人間の本質』を
垣間見せてくれる

ことでしょう。






かつて僕が
30才ちょっとだった頃、
友人の「K野さん」
(今は交友なし)は、

僕が 太宰作品
読むようになったと知って、
こんなことを言いました。


『ああ、あの「人間嫌い」に
なっちゃう本?(笑)』




…違いますよ? K野さん(笑)

僕は、太宰作品にふれて
初めて、

それまで不快感しか感じず、
批判の対象でしかなかった
『他人(と自分自身)の 弱さ』
を、

ポツポツと
許せるようになりました。





『真実』を 知った後
どうするか・どうなるかは、
「その人」次第


太宰作品を読んで
「人の心の真実」を知った結果
「人間嫌い」になる人は、

今まで表面化して
いなかっただけで、

『もともと「人間嫌い」の
素質があった人』

なのです。




太宰作品『光』です。


それを浴びて
どんな「影」ができるかは、

『その人 次第』
なのですから…

  







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