サイト『生きる意味の「正体」教えてやるにゃー』
このサイトが説明しているもの
『真理とは』(難点と利点。学ぶ心構えについて)


『真理とは』

(難点と利点。 学ぶ心構えについて)

執筆日 2021年 06月09日   最終更新日 2021年 07月05日





このページを読まれている あなたは、
不思議 に 思われたことが
ありませんか?





世の中には
『真理』というものがあり、
(当サイトでは『生きる意味の正体』
などと呼んでおります)


それを知ると、「悟ったり」
「世の中の大半の事柄の 裏や正体が
分かるようになったり」
と、
さまざまな恩恵があるらしいのに…


なぜか
『真理が 世の中に広まっている』
と 感じられる経験が
なかなか無い ことを…






「真理」というのは、
そんなに『高度で 難しい』
教えなのでしょうか…?


選ばれた者にしか 習得できない、
『超越した思想』
なのでしょうか…?






いいえ、違います。


「真理」は、

その気があれば
子供でも理解できてしまう
ぐらい
『単純明快で 本質的』
であり、

『誰にでも当てはまる
普遍的な思想』
なのです。



そこで
このページでは、

『真理は なぜ広まりにくいのか?』

『どうすれば 理解しやすくなるか?』

『真理を理解することで得られる
多大な恩恵』
について、

かなり長いですが
ご説明させていただきます。




【目次】

 ▲『真理は、なぜ広まりにくいのか?』

 ▲『真理が 広まりにくい理由』


 ○『原因が分かれば「解決策」が見えてくる』

  「経験」が武器に、「プライド」が足枷になる
  「弱さ = 汚点・悪」ではない


 ○『真理を理解することで得られる「恩恵」』

  「悩みや 選択」に かかる時間が短縮される
  「自分を客観視」しやすくなる
  「他人の本心」も 見えやすくなる
  「ビジネス」「社会」の 本質が見えてくる


 ○『あらゆるものの「正体」が 見えてくる』







▲『真理は、なぜ
広まりにくいのか?』



「真理」の すばらしさは、

『単純明快で 本質的』であり、

『誰にでも当てはまる
普遍的な思想』

である点です。



ところが 意外にも、
その「単純明快で 本質的」
である事が、

一方で
『真理の広がりを阻害する
原因にも なっている』
のです。





というのも、

『枝葉(装飾)をはらって
幹(本質)に至るような
物の見方ができるようになる』

という ストレートさ が、

『飾り気がない、無機質な思考』
と 勘違いされるケースが
多いからです。



「多様性」を 追い求める
我々「生物」にとって、

真理のような思考は
あたかも
『無味乾燥な 決めつけ』
のように感じられ、

どうしても 拒否感
生まれてしまうのです。





真理の『単純明快さ』も、
人によっては 拒否反応
生む原因になってしまいます。


ある程度の知識を持った人には、
『複雑なものほど 立派である』
という考えが
こびりつきがちなため、

「こんなに簡単に
説明できてしまう物が、
真理であるはずがない!」


「真理は、人間は、もっと
複雑で深いものなのだ!」


といった、
一見「謙虚」に見える
『思い上がった 勘違い』
が、

真理を受け入れるさいの
障壁になってしまうのです。





また、
『その気があれば、
子供でも理解できる』

という点も、

すでに大人と呼ばれる年齢に
なっている者には
ショックを与えます。


『自分は これまでの人生を、
そんな簡単な基礎知識も
知らない・気づかないまま、
生きてきてしまったのか?』

(自分の人生は 間違っていたのか?)

という 後悔と劣等感から、

「その事実を 否定したい」
「否定しなければならない」

という気持ちが生まれるのは、

ある意味、仕方ないこと
なのかもしれません。





何より「真理」は、

『無力で ちっぽけな、
私たち生物』


『単なる動物にすぎない、
私たち人間』


といった 現実 を、
ゴマカシ抜きに 明確にしてしまう
厳しさを持っています。



昨今の さまざまなメディアによる

『輝かしい あなただけの人生!』
『あなたの代わりは 存在しません!』

といった、
耳に聞こえのいい褒め言葉に
馴(な)らされてしまっている

現代人にとっては、

そのヌクヌクとした衣を
一気に はがされる
形にもなります。



急に「自分の人生」が
ツマラナイもののように
思えてきた
り、

急に「世界」が ただ寒々しく、
厳しさばかりが あふれかえって
いるもののように見えてくる

事でしょう…



そんなイヤな気持ちに
させられる『真理』なんか
聞きたくもない!


と 考えてしまうのも、

悲しいかな、
至極 当然と言えるでしょう。







▲『真理が 広まりにくい理由』



以上を まとめますと…


『真理は「本質」を
するどく突いてくるので、
その無味乾燥ぶりに
冷たさを感じてしまう』



『「真理」が あまりに
単純明快なので、
低価値なものように
錯覚してしまう』



『ある程度 年齢を経てから
「真理」に出会った人には、
「自分の人生を否定するもの」
のように感じられて、
ショックと不快感が生じる』



…と、だいたい このあたりが、
『真理への 恐怖と嫌悪感』を 生み、

「正しい・正しくない」以前に
『到底 受け入れがたい』
という気持ちを、
私たちの中に発生させてしまう…


つまり、

『真理が なかなか
世の中に広まらない理由』

と 言えるのではないでしょうか?





ちなみに、
「真理が 人々に受け入れられづらい」
別の理由
として、

私は 現代人の、
『現実を直視する気力』の
低下
が あると考えています。



生物の 気力(やる気)
無限ではありません。

疲れれば 下がりますし、
他のことに費やせば 枯渇します。



特に『過度なストレス』は、
生物の「気力」「理解力」を
大きく損ないます。



『ストレス社会』
などと呼ばれる
今の世の中ですが、

そうした日常的なストレス
「現実を直視する気力」
「自分の成長に挑む気力」を
阻害している
面もあるのでは…?

と 危惧しています。







○『真理を受け入れがたい
原因が分かれば、
「解決策」が 見えてくる』



しかし、

こうして
「真理が広まらない理由」
「真理を受け入れがたい理由」

に 気がついてみると、

逆に「解決の道」
見えてきます。



たとえば、
『真理や本質を知ることが、
無味乾燥に思える』
のは、

あくまで
「今の あなたの常識から見た、
相対的な感じ方(主観)」
です。


真理が「無味乾燥」なのではなく、
むしろ 今までの自分の
物の見方のほうが
『過剰包装』であったのだ

と 気づけば…

物事の枝葉をサッパリと はらって
見せてくれる「真理」は、

小気味良いほどにスッキリと
あなたに 物事の実態を
教えてくれる
ことに
気がつくでしょう。





『単純明快なものは
低価値に思えてしまう』

というのも、
もちろん 勘違いです。


本当にトコトンまで
研ぎ澄まされたもの
は、
恐ろしいまでに
単純明快(シンプル)

なものなのです。



数学や物理で使う「公式」は、
あんなに単純な作りなのに、

そこに数値を入れるだけで、
さまざまな世界の実態を
解き明かしてくれます
よね?


コンピューターゲームの
『テトリス』
は、
あんなにシンプルな
ゲームシステムなのに、

やめ時を見失うほどの
高い中毒性 があり、

以降の『落ち物パズル』の
重要な基礎となりました。




シンプルさ
「底の 浅さ」ではありません。

『汎用性の 高さ』なのです。




『「経験」が 武器に、
「プライド」が 足枷になる』



『今さら真理を知ったところで、
もう年齢的に手遅れだろう…』

と お考えになるのも、
寂しすぎます。


真理の学びに
「遅すぎる」ということは
ありません
し、

そもそも 世の中には、
生活や心に余裕が持てず、
『真理と無縁のまま
一生を終えてしまう人』も、
多数 存在する
のです。



でも、
「人間」として生まれる という
得がたい幸運に恵まれたのに、

「世の中や 自分自身の、
仕組みの正体」
も 知らないまま、
学ぼうとすらしないまま
死んでしまう
なんて…


それは 本当に
『人生を 生きた』
言えるのでしょうか?






また、たしかに人生の早い時点から
「真理」について考え始め
れば、
有利 ではありますが…


若さゆえの「経験の少なさ」から、
真理を誤解 してしまう
(理想論に執着する、など)
ケースも少なくありません。


中年・老年になってからの学び
たしかに「人生の残り時間」
から見れば 若者より不利

ですが…

シッカリとした人生を歩んできた
『経験』があれば、
短期間で『真理の本質』を
理解することも可能
なのです。


「真理の学び」には、
年齢ごとに 一長一短がある
わけです。





『この歳になって、
「自分の弱さ」と 向き合うなんて、
つらすぎる…』


その お気持ちは、
分かります。


ただ、真理の習得のさいに
最も 大きな壁 になるのが、

まさに その
『あなたの中の プライド』
なのです。



年齢に かかわらず、
私たちが心のどこかで
「真理」を 怖がる要因の1つが、

この

『自分の弱さを
知ることへの恐れ』

『自分のプライドが
傷つくことへの恐れ』


に あるといっても
過言ではありません。





しかし それでは まるで、
『虫歯』です。

あなたがどんなに
「プライドが傷つくのが怖いから、
真理から目を背けたい」
と 考えても、

あなたの思いとは無関係に、
『真理は、
厳然として存在する』

のですから…


歯医者に行くのが怖いから、
虫歯の痛みに耐えたり、
忘れようと努め
ても、

虫歯が勝手に無くなることは
決して無い
のと 同じです。
(歯を失わないかぎり)


「虫歯がある事実を認め、
歯医者で治療してもらう」

ことだけが、

虫歯の痛みから解放される
手段です。


『真理の学び』も 同じ
同じではないでしょうか?




『「弱さ = 汚点・悪」
ではない』



そして 何より、
ここを勘違いして
いただきたくない
のが…


『弱さ = 汚点・悪』
ではない

という点です。



この世の中に
「弱さを持たない生物」など
存在しません。



誰もが それぞれ、
自分なりの「弱さ」を持ち、

その弱さを ある程度
自力で克服したり、

「別方面の強さ」を持つことで
バランスを取っている
のが

私たち生物 なのです。





強いて
『汚点・悪』
あるとすれば、

それは
「弱点」そのものではなく、

『自分の弱点と
向き合おうとしない、
その人自身の 心』

ではないでしょうか?



「弱さ そのもの」は、
『悪』でも『恥』でも
ありません。


なぜなら それらは、
「汚点」ではなく『改良点』


もし あなたが、
このサイトで指摘されている
内容を読んで
「つらい」と 感じたのであれば、

それは あなた自身が
そうした「人間の弱さ」を、
他人事ではなく
『自分の中にもある問題点』
として 自覚できている

からであり…


それはイコール、
『改善できる可能性』が
あなたの中に残っている
証拠
なのです。





何より、
このサイトの制作者 も また、

恥ずかしさに
のたうち回りながら、
このサイトのページを
書き続けている
のです。

(というのも、
この物語の主人公「ふき」
時おり見せる稚拙な言動は、
大半が『制作者の若い頃の それ』を
モデルにしている
からです)




あなたが感じる
『自分自身への怒り、
恥ずかしさ』
は、

おそらく
制作者も かつて

あるいは 今この瞬間も、
味わい続けているもの

同じ なのです。







○『真理を理解することで得られる
多大な「恩恵」』



『枝葉をはらって本質と向き合う
ことの重要性』を 理解
し、

現実を直視するためなら
『自らのプライドも捨てる覚悟』を
あなたが持てた
のだとしたら…

すでに「真理」の 習得は
半分以上 成功した

と言っても
過言ではありません。



そんな あなたの
これからの人生
に、

『真理』は 何を教え、
見せてくれるのか…?


以下で 大ざっぱながら、
説明させていただきます。




『真理を理解すると、
「悩み や 選択」に かかる時間が
短縮される』



まず、
『このサイトについて』でも
軽く説明した通り、

『人生の選択・悩みに
かかる時間が、
大幅に節約』

されるようになります。



限られた人生の時間 においての、
大きな負担 の 1つが、
『選択や悩みに費やす
思考時間』
です。


「自分で悩み、考えること」
もちろん とても大切で
重要な行為ですが、

『なんの指標も無しに、
ただ闇雲に悩むだけ』
の 時間は、
ほとんど人生を前進させません。






問題解決のためには、
ある程度の「方向」を
定める必要があります。


どんなにガムシャラに走っても、
それが 目的地と反対方向 であれば、
それは単なる
『暴走』『徒労』
ですよね?


「真理」を知り、
それを人生に応用できる
ようになると、
『自分の進むべき方向』を
見出しやすくなります。



すると 当然、
ムダに蛇行することなく
目的地を目指せる
ため、
(思考できるため)

人生の時間や労力を、
大きく節約できるようになる

わけです。




『真理を理解すると、
「自分を客観視」しやすくなる』



次に、
『等身大の自分』を
把握しやすく
なります。


人生における失敗の 大半は、
「自分の能力の、
過大・過小評価」が 原因

です。


これはつまり、
自分の能力を
正確に把握できていない証拠


『自分を 客観的に
見れていない証拠』
です。





「真理」は、あなたに
「あなた自身」というものを、
厳しいまでに突きつけてきます
が、

それは同時に、

『あなたの中に、
自分自身を客観視できる、
冷静な目が育つ』

ことでもあるのです。



「自分の能力」が 分かる
のは もちろん、

「自分の利点」「自分の弱点」
も 把握しやすいので、

『今後 自分の何を伸ばし、
どこを直すか?』

といった指標も
得やすくなります。


それは あなたにとって、

この社会の中で 生き残り、
自分らしく生きるための、

大きな武器となる 事でしょう。




『真理を理解すると、
「他人の本心」も 見えやすくなる』



「真理」によって見えてくるのは、
「自分自身」だけではありません。


同じ生物である『他人』の
等身大の姿(正体)も また、
見抜きやすく
なります。





と言いますのも、

生物は「欲望」によって
動きます
が、

真理は、その『欲望の正体』
についても教えてくれる

からです。


人間という生物の
欲望の正体が分かれば、

「自分自身」を 把握したのと
同様の手順
で、
「他人」も 理解しやすくなる
というわけです。



人生において『人間関係』
大きな問題ですが、

「真理」の習得は、
その大問題に立ち向かうための
強力な知識を身につける
ことでもある
のです。





真理による
『他人への理解力』
さらに応用すれば、

「他人の集合体」である
『家族・友人』
『学校・会社などの団体』
『住んでいる地域』
『国』『世界』


問題点の把握や
改良方法を見い出すための
ツール
としても、

「真理」は 威力を
発揮してくれる事でしょう。




『真理を理解すると、
「ビジネス」などの社会の動きの
本質が見えてくる』



意外に思われるかも
しれませんが、

「真理」は
『ビジネス』『政治』への
応用も可能
です。


というより、

大きな力を持つ企業や政府
の 背景には、ほぼ必ず
「真理」に 根差したものがある
のを、私は常々 感じています。





ただし それらは、
必ずしも
「真理による 人類全体の発展」
といったものではなく…


『人々の欲求を把握して、
ユーザーを思い通りに操る』

といった、

『真理 の 悪用』の ケースも
多々あることは、
残念ながら事実です。



が、それは同時に、

「世の中に大きく
かかわろうとする人」


「他人の心理操作に
惑わされることなく、
自分らしく生きることを望む人」

にとって、

真理は『必須の知識』
である 証拠とも言えるのでは
ないでしょうか?





ありふれた言い方に
なってしまいますが、

『真理』は あくまで
「ツール」


「刃物」「火薬」
のようなものです。



その「力」を手にして、
自分のみの利益を
守り追求する武器とする
か、

自分を含めた 世の中全体の利益を
探し出す道具とする
かは…


『あなた次第』
なのです。







『真理を理解すると、
あらゆるものの「正体」が
見えてくる』



以上の通り、
「真理」を 理解することで
見えてくるもの
は、


『悩みの 本質』
であったり、

『ありのままの自分』
であったり、

『自分以外の生物の 本心』
であったり、

『社会や 世の中の 仕組み』
であったりします。





もう お分かりになったのでは
ないでしょうか?


そうです。


「真理」が 私たちに
見せてくれるのは、

『あらゆる物事の 本質』
『あらゆる物事の 正体』

なのです。



そこには
「良い」も「悪い」も
ありません。



飾りや枝葉で ごまかさない
『事実』だけが、

あなたの眼前に広がる
ようになるのです。





たしかに、
最初の壁は高い です。

ですが、
あなた自身が作っている
その壁(恐れや プライド)
を、
あなた自身が 乗り越えた時…



必ずや、

『世の中の あらゆる要素が
今までとは比較にならないほど
クリアに見渡せる』
ようになり、

必ずや、

『あなたの価値観は 一変』する…



この「一事」においては、

私は ここで、
ハッキリと あなたに
お約束することができる

のです。


  




『このサイトについて』に 戻る

[章の 目次 に戻る]