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第4章『「DNAの生存本能」で「しあわせ」を考える』→ DNA の 生存本能で、『健康』を考える |
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最後は、 『健康』に ついてか… | |
もちろん、 今回の「健康」に 関しても、 『これが どのように、 生物の 生存本能に かかわってくるのか?』を ミューラーたち と 話し合った ふき でしたが… これまで、いくつもの 「しあわせ」について、 それらが 実は、 『 DNA の 生存本能によって、 「しあわせ」だと 感じさせられていた 』 という事実を学んだ 今の彼にとっては、 あまりにも 結論が分かりやすい題材 でした。 先日 ミューラー が、 「健康」を 『生物にとっての、 しあわせの 1つの頂点』 と 称した理由も、 現在の ふき には、 しみじみと 理解できるのです。 | |
『死・消滅』が、 DNA の 最も恐れる結末 であるなら、 その対極に位置する 『健康』こそが、 DNA の 最も望む状態 … | |
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だから 私たち生物は、 『健康』であることに 無上の喜びを感じる のです。 | |
ミューラー は 今日、 そのように 表現しておりました。 ただ、 われわれ生物は、 少々の病気や ケガ などを していても、 自分を「まあまあ健康」と 感じるためか、 「健康」というものを、 「日常的な」 「当たり前の」状態と 錯覚してしまう ところがあります。 本当は、 『 ものすごく ありがたい、 しあわせな状態 』なのに… そして、 「大病」や「事故」、 「災害」などによって、 それまでの「健康」が 大きく損なわれた とき、 『 実は、当たり前でも なんでもなかった、 「健康」の ありがたさ 』を 今さらながらに 再認識して、 「後悔の涙」を 流す… そこには 何か、 「愚か」の一言では 片づけられない、 『人の心の 不可解さ』を 感じてしまいます。 また、ネック は 先日、 こう言っておりました。 当たり前のようで ある日 突然 なくなっちゃうのが、 『健康』だと… 思えば ネック は、 「避妊手術」によって、 『子孫を残す』という 大きな「しあわせ」を、 失ってしまった猫です。 ならば せめて、 ネック が その人生(?)を 十分に楽しめる よう、 『健康』だけは これからもシッカリと 維持できるといいなぁ… 今の ふき は、 そんなふうに、 考えるのでした。 ネック が、いつまで この家に居るつもりか 分かりませんが、 もし 彼女さえ良ければ、 このままウチで 暮らしてもらっても、 自分は 別に 構わないかなぁ… そんなふうにも、 思うのでした。 | |
なに ジロジロ こっち見てんのよ、ふき。 キモいんですけど。 この エッチ スケベ 変態野郎。 | |
『この性格さえ、 もう少し 直してくれれば』… という 条件付きですが。 |