サイト『生きる意味の「正体」教えてやるにゃー』
第5章『「DNAの生存本能」で「世の中」を考える』
DNA の 生存本能で、『正義』を 考える


■ DNA の 生存本能で、
『正義』を考える(1/2)


『正義 の 定義』


執筆日 2018年 04月08日   最終更新日 2020年 06月30日





ふき が、
「自分の中の DNA の怖さ」
について
考えこんでいると…




ミューラー が、
こんな話を
はじめました。




『善悪』の 話の
ついでに、

「善」の 延長である、
『 正義 』に ついても

ちょっと
ふれてみましょうか?





『 正義 』とは また、
ずいぶん 大げさな話に
なって来たなぁ


ふき は ちょっと
驚きましたが…




同時に
興味も わいたので、

ミューラー の 提案に
乗ってみることに
しました。





これから お話しする
『正義』も、

その根底にあるのは、
『 DNA の 生存本能 』
に すぎません。





ただし、
『 正義 』には、

「損得」「敵・味方」
「善悪」などとは、
決定的に 異なる点

1つあります。





「決定的に 異なる点」

と 言いますと?





それは、

『多くの人にとっての、
得・味方・善』
でないと、

『正義』とは 呼ばれない
という点です。





このあたりは、
ふき も 納得です。

ネック ともども、
静かに うなずきました。

  





ただ、この見方が
行き過ぎると、

それを支持する人々の、
「人数の 大小のみ」
で、

正義かどうかが
決定されてしまう
という、

困ったケースも
発生してしまうのです…





この言葉に、

ふき
首をかしげました。




ん?

『 支持する人の多い意見を、
正当のもの 』
として、
どうして 困るんですか?


「正しいから」、
多くの人が、その意見を
支持する
んですよね?





たしか、それが

『民主主義の 良さ』
だって、
聞いたこともあるし…





ふき の 疑問に、

ミューラー
ちょっと 悲しそうな
顔をしました。




いえ、残念ながら、

必ずしも
『 多数派 = 正しさ 』
というわけではない

のです。





ふき
困惑していると、

ミューラー は、
「少し長くなりますが…」
と 前置きして、

こんな 話を始めました。


  



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『「多数派」が 必ずしも
正しい・正義という
わけではない、理由』





まず、たびたび
お話してきたように、

本来 わたしたち「生物」は、

「自分が生き残る確率が
高くなるもの」

「得だと思うもの」
に、

素直に『魅力』を 感じる
ように できています。





しかし、

現代のように
人間さんの社会が
複雑になってくると、

どうしても
「さまざまな 価値観」
「いろいろな 物の見方」
混雑 が 起こってしまい…





本来の『魅力』
見えづらい状況…


『自分の頭で、
1つ1つの物事の「魅力」を
キチンと判別していくには、


あまりにも 対象が多すぎて
疲れはててしまう…』


そんな時代に なっている
とも 言えます。





このリビングの中で
唯一の「人間」である
ふき には、

この話は、
本当に しみじみと
分かる気がしました。








もちろん、

「目先の損得」に
惑わされず、

『大局的に 長期的に
物事を見ようとする人』

が 多ければ、

そうした問題も
簡単には発生しません。





しかし 一方で、

「自分の頭を使うこと」に
疲れはて、
自らの判断を放棄
してしまった人々
は、

「目先の損得」に
簡単に吊られ
たり、

「誰かに操作された情報」を
鵜のみ
にしたり…





ついには、
「物事が正しいか どうか」を

単純に
『現時点の賛同者が
多いか どうか』
だけで判断(?)

するまでに、

思考停止
陥ってしまうのです…



  





実は『悪』なのに、
(生存確率を下げるもの なのに)
「多数派」に なってしまう…



多数派が『正しい』
(生存確率を上げるもの)
とは 限らない…





そんな
おかしなケース が、
出てくる原因は、

つまり、
ここに あったわけです。






自分たちの
『無思考』が 原因で、


「正義」と「悪」が
逆転してしまう
場合もあるのか…


  




そんなふうに仰天している
ふき とは 対照的に

ネック
冷静に うなずきながら、
こう 補足しました。






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『支持者の大小だけで
決められた「正義」は、
簡単に変化してしまう』





そういう事も、
結構あるんじゃないの?

ふきだって 以前は、

『 就職さえしてれば
立派だ! 正義だ! 』

とか 言ってたじゃん。





いやいやいやっ!

そこまでは
言ってなかった
はずですが??








この国には きっと、

ふき と 同じように
考えちゃってる人が、
たくさんいる
んだろうね…


だから、
「正社員じゃない人は
悪者・半人前」
みたく
普通ーに 言われてる…





でも、
それって 実は、

今の この国で、
『会社員 が 多数派』
だからってだけ
なんじゃないの?





ネック の 言葉に、

ミューラー
深く うなずきました。




そう思います。

仕事 というものは 本来、
「雇用形態」ではなく、

『なにをもって
社会に関わり、
貢献するか(内容)』が、
一番 重要
なはずなのに…





今の この国では、

そうした事実に
気づけている人は
むしろ「小数派」
なので…





「自分の属している会社や
自分自身の行っている、
仕事内容や 実績」

ではなく、

『 社員 > 派遣・バイト
> 無職』という
単純な構図
で、

無理矢理 人間の優劣を
決しようとしたがる

のではないでしょうか?





かつての自分
思い出して

丸まっていく
ふき の 背中を、

かみね が、
「そ、そこまで
気に なさらないで…」

と さすりました。

  





しかし 逆に、
『 実力主義 』の 国や社会
では、

どんなに苦労して
「入社」した人であっても、

実績も出さず、
会社に しがみついて
いるだけ
であれば、

アッというまに、
首切りや 批判の 対象

になります…





つまり、

そういう社会に
おいては、

「就職していることだけが
自慢の 正社員」
は、

単なる
『少数派』(悪)に
すぎない
わけです。





このように、
『 多数派・少数派 』
などと いうものは、

「周りの人間の考え」や、
「流されている情報」

「その国の社会制度」
などによって、

刻々と さまざまに
変化してしまう、
とても不確かなもの

なのです。





だとすれば、

そうした
うつろいやすい「多数派」
より所にしている
『 正義 』も、また、

『過信するべきものではない』

と 言えるのでは
ないでしょうか?



  



【下へ 続きます】



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