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第5章『「DNAの生存本能」で「世の中」を考える』→ DNA の 生存本能で、『正義』を 考える |
ふき が、 「自分の中の DNA の怖さ」 について 考えこんでいると… ミューラー が、 こんな話を はじめました。 | |
『善悪』の 話の ついでに、 「善」の 延長である、 『 正義 』に ついても ちょっと ふれてみましょうか? | |
『 正義 』とは また、 ずいぶん 大げさな話に なって来たなぁ と ふき は ちょっと 驚きましたが… 同時に 興味も わいたので、 ミューラー の 提案に 乗ってみることに しました。 | |
これから お話しする 『正義』も、 その根底にあるのは、 『 DNA の 生存本能 』 に すぎません。 | |
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ただし、 『 正義 』には、 「損得」「敵・味方」 「善悪」などとは、 決定的に 異なる点 が 1つあります。 | |
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「決定的に 異なる点」… と 言いますと? | |
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それは、 『多くの人にとっての、 得・味方・善』でないと、 『正義』とは 呼ばれない という点です。 | |
このあたりは、 ふき も 納得です。 ネック ともども、 静かに うなずきました。 | |
ただ、この見方が 行き過ぎると、 それを支持する人々の、 「人数の 大小のみ」で、 正義かどうかが 決定されてしまう という、 困ったケースも 発生してしまうのです… | |
この言葉に、 ふき が 首をかしげました。 | |
ん? 『 支持する人の多い意見を、 正当のもの 』として、 どうして 困るんですか? 「正しいから」、 多くの人が、その意見を 支持する んですよね? | |
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たしか、それが 『民主主義の 良さ』 だって、 聞いたこともあるし… | |
ふき の 疑問に、 ミューラー が ちょっと 悲しそうな 顔をしました。 | |
いえ、残念ながら、 必ずしも 『 多数派 = 正しさ 』 というわけではない のです。 | |
ふき が 困惑していると、 ミューラー は、 「少し長くなりますが…」 と 前置きして、 こんな 話を始めました。 |
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まず、たびたび お話してきたように、 本来 わたしたち「生物」は、 「自分が生き残る確率が 高くなるもの」 「得だと思うもの」に、 素直に『魅力』を 感じる ように できています。 | |
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しかし、 現代のように 人間さんの社会が 複雑になってくると、 どうしても 「さまざまな 価値観」や 「いろいろな 物の見方」の 混雑 が 起こってしまい… | |
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本来の『魅力』が 見えづらい状況… 『自分の頭で、 1つ1つの物事の「魅力」を キチンと判別していくには、 あまりにも 対象が多すぎて 疲れはててしまう…』 そんな時代に なっている とも 言えます。 | |
このリビングの中で 唯一の「人間」である ふき には、 この話は、 本当に しみじみと 分かる気がしました。 | |
もちろん、 「目先の損得」に 惑わされず、 『大局的に 長期的に 物事を見ようとする人』 が 多ければ、 そうした問題も 簡単には発生しません。 | |
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しかし 一方で、 「自分の頭を使うこと」に 疲れはて、 自らの判断を放棄 してしまった人々は、 「目先の損得」に 簡単に吊られ たり、 「誰かに操作された情報」を 鵜のみ にしたり… | |
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ついには、 「物事が正しいか どうか」を 単純に 『現時点の賛同者が 多いか どうか』 だけで判断(?) するまでに、 思考停止 に 陥ってしまうのです… | |
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実は『悪』なのに、 (生存確率を下げるもの なのに) 「多数派」に なってしまう… 多数派が『正しい』 (生存確率を上げるもの) とは 限らない… | |
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そんな おかしなケース が、 出てくる原因は、 つまり、 ここに あったわけです。 | |
自分たちの 『無思考』が 原因で、 「正義」と「悪」が 逆転してしまう 場合もあるのか… そんなふうに仰天している ふき とは 対照的に ネック は 冷静に うなずきながら、 こう 補足しました。 |
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そういう事も、 結構あるんじゃないの? ふきだって 以前は、 『 就職さえしてれば 立派だ! 正義だ! 』 とか 言ってたじゃん。 | |
いやいやいやっ! そこまでは 言ってなかった はずですが?? | |
この国には きっと、 ふき と 同じように 考えちゃってる人が、 たくさんいる んだろうね… だから、 「正社員じゃない人は 悪者・半人前」みたく 普通ーに 言われてる… | |
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でも、 それって 実は、 今の この国で、 『会社員 が 多数派』 だからってだけ なんじゃないの? | |
ネック の 言葉に、 ミューラー が 深く うなずきました。 | |
そう思います。 仕事 というものは 本来、 「雇用形態」ではなく、 『なにをもって 社会に関わり、 貢献するか(内容)』が、 一番 重要 なはずなのに… | |
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今の この国では、 そうした事実に 気づけている人は むしろ「小数派」なので… | |
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「自分の属している会社や 自分自身の行っている、 仕事内容や 実績」 ではなく、 『 社員 > 派遣・バイト > 無職』という 単純な構図 で、 無理矢理 人間の優劣を 決しようとしたがる のではないでしょうか? | |
かつての自分 を 思い出して 丸まっていく ふき の 背中を、 かみね が、 「そ、そこまで 気に なさらないで…」 と さすりました。 | |
しかし 逆に、 『 実力主義 』の 国や社会 では、 どんなに苦労して 「入社」した人であっても、 実績も出さず、 会社に しがみついて いるだけ であれば、 アッというまに、 首切りや 批判の 対象 になります… | |
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つまり、 そういう社会に おいては、 「就職していることだけが 自慢の 正社員」は、 単なる 『少数派』(悪)に すぎない わけです。 | |
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このように、 『 多数派・少数派 』 などと いうものは、 「周りの人間の考え」や、 「流されている情報」、 「その国の社会制度」 などによって、 刻々と さまざまに 変化してしまう、 とても不確かなもの なのです。 | |
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だとすれば、 そうした うつろいやすい「多数派」を より所にしている 『 正義 』も、また、 『過信するべきものではない』 と 言えるのでは ないでしょうか? | |
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