■ それぞれの思いの底に
あったもの 1(3/9)

『本質が見えるからこそ 生まれる苦悩』





ネック の 結論に、

ミューラー
悲しそうな顔つきで
うなずきました。





その通りです…

『本質』を感知する視点
するどく なってくると、

『他人にダマされにくくなる』

『問題の重要度に
気づきやすい』


といった
良さが生まれる一方で…






『自分自身もダマせなく
(ゴマかせなく)なる』


『自分の手におえないような
重要問題にも、
気づけてしまう』

といった

難しい面も
出てきてしまうのです。






そのため、

平均的な人間さんたち
であれば、

「そこまで 心配する
ことじゃない」


「そのうち 何とかなる」
などと、

『自分で 自分をダマしたり、
問題点の先送りをして、


とりあえず自分をゴマかして
日々をやりすごす』


ような 生き方も
できるところを…





異常に発達した
「物事の本質を見抜く目」
持ってしまった ふきくんは、

『そのうちどころか、

下手したら
今すぐ取りかかっても
間に合わない、


そんな
何ともならない状況に、
自分たちは いるんじゃ
ないのか?』


「気づける」ように
なってしまったのです。






聞いていた かみね が、
うろたえました。





む、難しいもの
なんですね…



『本質が見えない人』は、

実は 自分の人生が、
周りの人々や環境に
振り回されて
しまっている
のに、

「本人が それに
気付けていない」から

結果的に
心配事が少なく





逆に、
『本質が見えている人』は、

自分の人生や
周りの人々の心や世界が
とても よく見え、
気付けてしまう
ために、

かえって 心配事が
絶えない
なんて…






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