■ 「学歴」 は、ガマン大会の賞品? (2/3)





学校って、

大人… 社会人になるための知識を
学ぶための所なんでしょ?


なら、「そこで身につけたもの」 を
誇るべきなんじゃない?


なんで、『どれだけガマンしたか』
(最終学歴)
を自慢しようとすんのよ?



それって、

「身につけたもの」 に
自信がないから、

「ガマンした長さ」 を誇ってる
だけなんじゃないの?







あんた ご自慢の 「学歴」 って、

結局は、

『会社に入りやすくなるための
ガマン大会』
ってことかしら?



そんなものが、

あんたの 「人生のしあわせ」 なんだ?








ケラケラケラ と笑っている ネック に、
ふき は、うまい反論が思いつかず、

赤くなったり青くなったり
していたのですが…



そんな彼に、トンビの紳士が
助け舟を出してくれました。






もちろん、学歴は
単なる飾りではありません。


中学、高校、大学に
進むにしたがって、

扱っている学問の内容も
難しくなっているのは
確かなのですから。







ただ、

「学校でいい成績さえ取れば、
自分の望む人生が手に入る」
かのように思いこまされ、

記憶力という能力1つだけを
評価の大半にすえられ、

記憶力さえ高ければ
さも 「能力全般が高い人間」 のように
称されるせいで、


社会に出たときに、

本人も企業も、
大きなギャップを突きつけられてしまう…




そんな、今の日本社会の
教育体制そのものには、

数々の問題があるように、
私にも思われるのです。








あと、国の責任だけではなく、

個々人が 「自分の将来の大人・社会人像」
を真剣に考えようとしなかったり、

誰かが そういうことを考えようとするのを、
「ムダだ」 「バカバカしい」 と言って
無思考になるよう強要するような風潮…



つまり、国民さんたち自身が、
学歴社会を助長してしまっている
面も
あるように、私には見えますね…






自分の将来を、
自分自身で必死に真剣に考えることは、
「しあわせ」 をつかむための
基本中の基本
のはずなのに、

それを 「ムダ」 と称して
切り捨ててしまうのは、

自ら 「しあわせ」 から
遠ざかっているのも同じ

だと思うのですが…






まあ、いろいろとヘンテコだよね…

『学歴社会』…







こうして ミューラー の話を聞いた後だと、

先日の ネック
「日本は まだまだ学歴社会」
という言葉の見え方が、

自分の中で変わっていくように、
ふき には感じられるのでした。











そうした学校教育の弊害の1つが、
今まさに ふきくん が体験している、

『学生さんを社会人に改造する、新人教育』

と言えるのではないでしょうか?



「記憶力」 だけを強化しすぎた若者たちを、

「応用力」 も持った まともな社会人に
『再教育』 しなければならない手間は、

会社側にとっても多大な負担

だと思うのです…






また、面接においても、

「どこの学校に行っていたか」 ではなく、
『どういう能力や知識を身につけたか』
が明確になる 「学歴」
でなければ、

それは何も意味をなさないどころか、

会社が求める人材を見出しにくくなる
「煙幕」 にすらなってしまう
ように、

私には思われて仕方ありません…





ミューラー の この言葉で、

ふき の苦い思い出が
よみがえりました。







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