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第2章『それって、しあわせ?』→ 『学歴』が あれば、本当に幸せ? |
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ちょっと 極端な意見 のような 気もしますが、 ネック の 言葉にも 一理あります。 今の コンピュータ社会 は、 昔 以上に 人間の脳の『応用』面を 必要としているはず なのに、 いまだに 記憶 ばかりを 重視しがちな わが国の 学校教育… 実は、 時代や 世界から、 「ズレたり」「遅れたり」 してしまっている のではないでしょうか…? とにも かくにも、 『 自分の実力を 正確に表しているとは 言いがたい 学歴 』… そんなものが 「人生の しあわせ」などでは 決してない ことが、 さすがに もう、 ふき にも 分かってしまいました。 | |
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ポツンと つぶやいた ふき に、 ミューラー は、 このように答えました。 | |
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…いや、 政治家や 社長ばかりじゃない… 「自分は、 大学受験をガマンした 立派な人間なんだ」と 思いこんで、 高卒や中卒の人間を 見下したり、 自己正当化に使っていた ふき自身 もまた、 今まで『 学歴社会 』に 「疑問すら持たなかった」し、 きっと これからも、 「簡単には否定できない」 のではないだろうか…? そう考えると、 「世の中」や「自分自身」 というものが なんだか 怖く思えてくる ふき なのでした… |
その人の「実務能力」を 正確に表せられない『学歴』に、 一体 なんの意味が あるのでしょうか? 「就職」のために 自分の脳の機能を 「記憶」方面 ばかりに ゆがめざるを得ない、 今の この国の 『学歴』というものに… 私は、 「価値 や しあわせ」 どころか、 根深い『恐ろしさ』を 感じずには おれない のです… |