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第3章『しあわせ の「正体」』→ もし『友達』が 無限に手に入ったら? |
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今日は、 『友人・知人』について 無限化 を 試してみましょう。 | |
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もちろん、 「単なる 知り合い」 などではない、 『親友』の 無限化です。 | |
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それって つまり、 どうなるんだろう…?? | |
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この世に生きてる 人間の 全部が全部、 あんたの マブ(親友)になる… って とこじゃないの? | |
そ、そ、 それは スゴイ! 出会う人 皆、 「親友」ということは、 この 地球 すべてが… いやいや、 この 宇宙 すべてが、 ふき にとって 誰とでも 気軽に語り合える フィールドになる という事です。 これ以上 『心強いこと』なんて、 この世にあるでしょうか?? これは もう、 『友だち』は、 「しあわせ」そのもの と 断言してしまって 良いのでは…? | |
たしかに、 そうなった時点では、 「しあわせ そのもの」と 言えるかもしれませんね… | |
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どういう事? ミューラーさん。 | |
ちょっと 気になる 言い方をした ミューラー に、 ふき が たずねました。 | |
たとえば ふきくんは、 「昔 好きだった 芸能人さん」 などを、 今でも 変わらず、 全員 好き ですか? | |
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え! ど、どうだろう…? | |
言われて 思い返してみると、 一部には 今でも変わらず ファンでいたい芸能人 も おりますが、 大半の芸能人は、 今の今まで 忘れてしまっていたり しました… | |
それは、 『なぜ』だと思いますか? | |
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んー… 僕の趣味が 変わっちゃった のかなぁ? | |
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あと、 その芸能人の 実力が 落ちちゃったり とかして、 『どーでも よくなった』… とかも、 あるんじゃないの? | |
言われてみれば、 それも あります。 たとえば、 昔は大好きだった歌手が、 年々 歌の作りが 荒くなってしまって、 幻滅して、ある時期から CD を 買わなくなり、 気がつけば そのまま、 忘れ去って しまっていた… といったケースが、 たしかに 何件もありました。 それは、つまり… |
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ふきくん の 心の中から、 その芸能人さんへの 『尊敬』の 気持ち が、 減ったり、無くなったり してしまった からでは ないでしょうか? | |
『尊敬』! そういえば、 先日「友人・知人」について ミューラーたちと 話し合ったとき も、 その単語が出てきた 記憶があります。 | |
芸能人さんたちは、 「ファンの人たち」に ファンで あり続けて もらえるよう、 努力し続けなければ ならない んですねぇ… | |
かみね が、 「芸能人って 大変なんだなぁ」と 感心するような口ぶりで、 そう言いました。 | |
ねぇ ふき。 それって、 『友だち』でも 同じ なんじゃないの? | |
ネック の 言葉が、 ふき の 頭の中に パシッ と 響きました。 | |
その通りです。 『この世の すべての人たちが ふきくん の 親友に なってくれる』としたら、 たしかに それは、 想像を絶する、 得がたい 究極の「しあわせ」 と言えるでしょう。 | |
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ですが、 そうなった以降も、 ふきくん自身が、 人々にとって 「何らかの尊敬を 感じさせる存在」 で あり続けなければ … | |
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人々の、 「ふきくんへの 親愛の思い」 は じょじょに冷め、 親友では なくなって いってしまう のでは ないでしょうか…? | |
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想像を絶する 究極の「しあわせ」 を 手に入れると、 それを 維持するために、 想像を絶する 究極の『努力』 が 必要になる… というわけですね? | |
そんな事、今の ふき に できるわけがありません。 もし できたとしても、 そんな、 自分の身の丈(たけ)に 合わない努力ばかりを 強いられる毎日 は 「しあわせ」どころか 想像を絶する 苦痛と 地獄の 日々 に 違いないはず… 『親友』を 得ること自体は、 間違いなく屈指の 「しあわせ」ですが、 「それを 維持するための努力」が、 また 別に、 継続的に必要になる 以上、 残念ながら 『友人・知人』も、 「しあわせ本体」 ということでは 無さそう です。 |