■『友だち』を
無限化してみる(2/4)

『友だちができることと、
それを維持できることは、別』





言われてみれば、
それも あります。






昔は大好きだった歌手が、

年とともに歌の作りが
荒くなってしまって、

幻滅して、ある時期から
CD を 買わなくなり、


気がつけば そのまま、
忘れ去って
しまっていた…



といった感じのケースが、
たしかに 何件もありました。



それは、つまり…





ふきくん の 心の中から、

その芸能人さんへの
『尊敬』の 気持ち が、

減ったり、無くなったり
してしまった
からでは
ないでしょうか?






『尊敬』!





そういえば、

先日「友だち」について
ミューラーたちと
話し合ったとき
も、

その単語が出てきた
記憶があります。





芸能人さんたちは、

「ファンの人たち」に
ファンで あり続けて
もらえる
よう、

努力し続けなければ
ならない
んですねぇ…




かみね が、

「芸能人って 大変なんだなぁ」
感心するような口ぶりで、
そう言いました。





ねぇ ふき

それって、

『友だち』でも 同じ
なんじゃないの?




ネック の 言葉が、

ふき の 頭の中に
パシッ と 響きました。







その通りです。

『この世の すべての人たちが
ふきくん の 親友に
なってくれる』
としたら、

たしかに それは、
想像を絶する、
得がたい
究極の「しあわせ」

と言えるでしょう。





ですが、

そうなった以降も、
ふきくん自身が、

人々にとって
「何らかの尊敬を 感じさせる存在」
で あり続けなければ





人々の、
ふきくんへの 親愛の思い」
は じょじょに冷め、

親友では なくなって
いってしまう
のでは
ないでしょうか…?





想像を絶する
究極の「しあわせ」

を 手に入れると、

それを 維持するために、

想像を絶する
究極の『努力』

が 必要になる…

というわけですね?





そんな事、今の ふき
できるわけがありません。






もし できたとしても、

そんな、
自分の身の丈(たけ)に
合わない努力ばかりを
強いられる毎日


「しあわせ」どころか
想像を絶する
苦痛と地獄の日々

に 違いないはず…




『親友』を 得ること自体は、

間違いなく屈指の
「しあわせ」ですが、


「それを維持するための努力」が、
また 別に、継続的に必要になる
以上、

残念ながら『友だち』も、
「しあわせ本体」
ということでは
無さそう
です。









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