サイト『生きる意味の「正体」教えてやるにゃー』
第3章『しあわせ の「正体」』
もし『ネットの意見発信』が 無限にできたら?


■もし『ネットの意見発信』が
無限に できたら?


『インターネットの意見発信は、
魅力のはずなのに…』


執筆日 2021年 07月15日   最終更新日 2021年 07月15日





さて、今日は
『ネットの 意見発信』
の「無限化」になります。





『インターネット』の
お話ですか!?


ネットは私も、
毎日 チェックしてます!




自分の好きな IT系の話 なので、
かみねは 大よろこび。

愛用のスマホ(みたいなもの)を
ギュッと 胸に抱いて、
内またでピョンビョン
はねています。






ふき は、
「ネットに自分の意見を書く」
のが 幸せ
なんでしょ?

じゃ、「無限化」の答えは
簡単 じゃん。





365日・24時間、
パソコンの前に 貼りついて、


来る日も 来る日も ただただ
「あんたの思うところ」を

書いて 書いて 書いて
書きまくる…



これで 決まりね。





僕に 死ねと?




…といった
シンプルな反論は、

もはや ふき
口にする気にもなれませんし、



口にしなくても、
ふきを ニヤニヤ顔で
眺めている ネックを見れば、

ふきの 感想が
伝わっているのは 明白

ですから。

 





しかし…

ネックさんの
おっしゃられている事は
一見「極端」ですが、

まさに その通り
とも 言えます。




ふきが ふて腐れていると、

意外にも ミューラーが、
そんな事を言いはじめました。







ふきくんとしても、

「365日・24時間」
とまでは 言わなくても、

会社にも行かずに
好きなだけ『自分の意見』を
世の中に発信しつづける

ことができれば…





それは、
かなり「幸せ」な 状態
なのではありませんか?





ミューラーの 意見も
一理あります。






…が、何かが引っかかって
ふきミューラーの 意見に
完全には うなずけないのです。



それに、
こうした思考実験
するまでもなく、

『365日・24時間に近いほど
頻繁にネットで書き込みを
続けている人々』
は、

一部とはいえ、実際に
世の中に存在している

のです。



にも かかわらず、

何か その人たちの
雰囲気や 意見
の 中に、

その人の「幸せな人生」が
あまり見えてこない
気が、
ふきは していました。


これは一体、
どういう事なのでしょう?







ふきが 腕組みしたまま
考え込んでいると…


かみね が、
ポツリと こんな事を
言い出しました。






【下へ 続きます】



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『インターネットの意見発信が
楽しい、本当の理由』





私は、人間さんたちが
「ネットで意見を
書いている」のが、

すごく うらやましい です。





人間さんたちが それぞれ
自分の意見を書いて、

そこに 誰かからの
コメントや「イイネ」が 付いて


お互いに 自分の意見について
話し合っている のが
ものすごく楽しそう で…





その場に入れない自分 が、

すごく寂しくなる 事が
あるんです…





スマホを持っているのに
「その場に入れない」という
かみねの 言葉の意味が、

ふきには ちょっと
分からなかったのですが…





かみねの 語った
「ものすごく楽しそう」
だという内容に、

ふき
ハッと 思い当たりました。





かみねさんの
おっしゃられている
「楽しさ」とは…

つまり
『レスポンス』
(反応)
ですね?





「自分の意見」
どれだけ大量に発信しても、

それに対して
『第三者からの レスポンス』
が 無ければ、

せっかくの発信も、
誰にも届かない
「単なる文字データ」

に すぎません。





「自分の意見」を 表明し、

そこに 誰かからの
賛同や反論・提案
があり、

お互いの意見を
すり合わせることで、
より高レベルな意見へと
成長・発展する喜び





意見は『発信』だけでは
片手落ち なのです。

誰かの心に『受信』されて
はじめて それは
活(い)きてくる





「発信」だけを無限化
させても、

そこに「幸せ」は
存在しない

というわけです。





かみねが、しみじみと
うなずきました。

 





無限の『発信』
「幸せ」になるためには、

その発信に
無限に賛同してくれる
「第三者」の存在
が 必要…





そして 発信者 自身 にも、

それだけの
「第三者の賛同」を
得るに ふさわしい、

無限に奥深い
『知識 と 説明能力』

不可欠になります。





それらが そろって
はじめて、

「無限 の 発信」
『無限 の 幸せ』
なりうるのです。





ふきミューラー
説明を聞きながら、

この話が
『友人・知人』の ケース
とても よく似ている ことに
気がつきました。





同時に、自分が
前半の ネックミューラーの 意見に
心からは うなずけなかった理由
も、
ようやくハッキリと
見えた気がしました。




そして…

「1日中ネットに貼りついて
大量の書き込みをしている人々」
が、
必ずしも 幸せそうに見えない のも、

決して、自分の
思い違いではなく、

彼らの行為の ほとんどが
『それを目にする相手の事も考えず、
ただただ一方的な発信による
自己満足で終わってしまっているから』

なのだと、

深く合点したのでした。


 

 





『意見発信』の 喜び は、
「発信」そのもの
あるのではありません。

それによって 「自分を表明」し、
「誰かと つながり」、
「共に成長」し、
ときに「世の中までも動かす」


『他人との かかわり』にこそ、
喜びや 魅力があるのです。



単に「自分の思いを
文字にしたい」のであれば、
パソコンやスマホの「メモ帳」
にでも 書き散らしておけば
済む
はずです。


それで 済まないのは、
誰かに「自分の心」を伝えたい、
理解し合いたい
と思うから…

だからこそ 今日も
多くの人間さんたちが、
『インターネットで 発信し続ける』
のではないでしょうか?


【下へ 続きます】



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