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第3章『しあわせ の「正体」』→ もし『ネットの意見発信』が 無限にできたら? |
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さて、今日は 『ネットの 意見発信』 の「無限化」になります。 |
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『インターネット』の お話ですか!? ネットは私も、 毎日 チェックしてます! |
自分の好きな IT系の話 なので、 かみねは 大よろこび。 愛用のスマホ(みたいなもの)を ギュッと 胸に抱いて、 内またでピョンビョン はねています。 | |
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ふき は、 「ネットに自分の意見を書く」 のが 幸せ なんでしょ? じゃ、「無限化」の答えは 簡単 じゃん。 |
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365日・24時間、 パソコンの前に 貼りついて、 来る日も 来る日も ただただ 「あんたの思うところ」を 書いて 書いて 書いて 書きまくる… これで 決まりね。 |
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僕に 死ねと? |
…といった シンプルな反論は、 もはや ふきは 口にする気にもなれませんし、 口にしなくても、 ふきを ニヤニヤ顔で 眺めている ネックを見れば、 ふきの 感想が 伝わっているのは 明白 ですから。 ![]() ![]() | |
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しかし… ネックさんの おっしゃられている事は 一見「極端」ですが、 まさに その通り とも 言えます。 |
ふきが ふて腐れていると、 意外にも ミューラーが、 そんな事を言いはじめました。 ![]() | |
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ふきくんとしても、 「365日・24時間」 とまでは 言わなくても、 会社にも行かずに 好きなだけ『自分の意見』を 世の中に発信しつづける ことができれば… |
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それは、 かなり「幸せ」な 状態 なのではありませんか? |
ミューラーの 意見も 一理あります。 ![]() …が、何かが引っかかって 、 ふきは ミューラーの 意見に 完全には うなずけないのです。 それに、 こうした思考実験を するまでもなく、 『365日・24時間に近いほど 頻繁にネットで書き込みを 続けている人々』は、 一部とはいえ、実際に 世の中に存在している のです。 にも かかわらず、 何か その人たちの 雰囲気や 意見の 中に、 その人の「幸せな人生」が あまり見えてこない 気が、 ふきは していました。 これは一体、 どういう事なのでしょう? ![]() ふきが 腕組みしたまま 考え込んでいると… かみね が、 ポツリと こんな事を 言い出しました。 ![]() |
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私は、人間さんたちが 「ネットで意見を 書いている」のが、 すごく うらやましい です。 |
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人間さんたちが それぞれ 自分の意見を書いて、 そこに 誰かからの コメントや「イイネ」が 付いて、 お互いに 自分の意見について 話し合っている のが ものすごく楽しそう で… |
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その場に入れない自分 が、 すごく寂しくなる 事が あるんです… |
スマホを持っているのに 「その場に入れない」という かみねの 言葉の意味が、 ふきには ちょっと 分からなかったのですが… ![]() かみねの 語った 「ものすごく楽しそう」 だという内容に、 ふき も ハッと 思い当たりました。 | |
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かみねさんの おっしゃられている 「楽しさ」とは… つまり 『レスポンス』 (反応)ですね? |
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「自分の意見」を どれだけ大量に発信しても、 それに対して 『第三者からの レスポンス』 が 無ければ、 せっかくの発信も、 誰にも届かない 「単なる文字データ」 に すぎません。 |
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「自分の意見」を 表明し、 そこに 誰かからの 賛同や反論・提案 があり、 お互いの意見を すり合わせることで、 より高レベルな意見へと 成長・発展する喜び … |
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意見は『発信』だけでは 片手落ち なのです。 誰かの心に『受信』されて はじめて それは 活(い)きてくる … |
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「発信」だけを無限化 させても、 そこに「幸せ」は 存在しない というわけです。 |
かみねが、しみじみと うなずきました。 ![]() ![]() | |
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無限の『発信』が 「幸せ」になるためには、 その発信に 無限に賛同してくれる 「第三者」の存在 が 必要… |
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そして 発信者 自身 にも、 それだけの 「第三者の賛同」を 得るに ふさわしい、 無限に奥深い 『知識 と 説明能力』が 不可欠になります。 |
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それらが そろって はじめて、 「無限 の 発信」は 『無限 の 幸せ』と なりうるのです。 |
ふきは ミューラーの 説明を聞きながら、 この話が 『友人・知人』の ケース と とても よく似ている ことに 気がつきました。 ![]() 同時に、自分が 前半の ネックや ミューラーの 意見に 心からは うなずけなかった理由 も、 ようやくハッキリと 見えた気がしました。 そして… 「1日中ネットに貼りついて 大量の書き込みをしている人々」が、 必ずしも 幸せそうに見えない のも、 決して、自分の 思い違いではなく、 彼らの行為の ほとんどが 『それを目にする相手の事も考えず、 ただただ一方的な発信による 自己満足で終わってしまっているから』 なのだと、 深く合点したのでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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『意見発信』の 喜び は、 「発信」そのもの に あるのではありません。 それによって 「自分を表明」し、 「誰かと つながり」、 「共に成長」し、 ときに「世の中までも動かす」… 『他人との かかわり』にこそ、 喜びや 魅力があるのです。 単に「自分の思いを 文字にしたい」のであれば、 パソコンやスマホの「メモ帳」 にでも 書き散らしておけば 済むはずです。 それで 済まないのは、 誰かに「自分の心」を伝えたい、 理解し合いたい と思うから… だからこそ 今日も 多くの人間さんたちが、 『インターネットで 発信し続ける』 のではないでしょうか? |