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第5章『「DNAの生存本能」で「世の中」を考える』→ DNA の 生存本能で、『善悪』を 考える |
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さて、最後は… 『 善悪 』に ついてですね。 | |
ついに『善悪』までも、 DNA で 説明される 事になり、 ふき は、 ちょっと 怖いような、 でも 一刻も早く 話を聞きたいような、 なんとも不思議な気持ちに なってきました。 | |
ここまでの お話から、 大方の予想は ついていらっしゃると 思いますが… | |
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わたしたち 生物は、 自分の生存確率を 上げてくれる物事を『善』… 逆に、自分の生存確率を 下げてしまうものを『悪』 と 感じるように なっています。 | |
ふき も これは 予想通りだったようで、 小さく うなずいています。 | |
ただ、ちょっと 怖いのは、 人間さんたちの中には、 この「善悪」が 絶対的 なもの… 未来永劫、 変わることの無いものだと 信じこんでしまっている 人たちがいる 点です。 | |
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その結果 お互いが、 『自分のほうこそが 本当の善である!』 と、かたくなに ゆずらず… | |
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ケンカ や 分裂 … ときには 『戦争』といった 恐ろしい事態に 発展してしまう場合も あるのです… | |
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という事は… 実際には『善悪』は、 「絶対的」なものではない のでしょうか?? | |
不思議そうに たずねる かみね に、 ミューラー が うずきました。 | |
はい。 むしろ、 『 善悪ほど、アヤフヤで 流動的なものはない 』 とすら 言えるほどです。 | |
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そ、そうかなぁ… 僕は、『善悪』って、 すごく 分かりやすくて、 ハッキリしたもの だと 思うんだけど… | |
先ほど ミューラー が、 『 人間さんたちの中には、 「善悪」が 絶対的なものだと 勘違いしてしまっている 人がいる… 』 と、言っていたので、 ふき も 「もしかしたら自分も そういう状態になって いるのでは?」と 考え、 この反論を しようかどうかは、 迷ったのですが… やはり、異を唱えずには おれませんでした。 というのも、 ふき は 先日、 自分の住んでいる マンションの 管理人の おばさん と、 たまたま 『善悪 うんぬん』の 話をしたときに… 『 他人が喜ぶことは、 全て、良い行い(善)』 という、興味深い言葉を 彼女から聞いていたのです。 この言葉は、 『正しさ』『善』というものを とても分かりやすく 説明できている 気がして、 ふき も すごく納得し、 感心していました。 そんな経緯が あったため、 今回の ミューラー の 話は、 ふき にとって かなりの ショック だったのです。 |
それに、 理由は よく 分からないのですが、 ふき の 中には、 なにか 子供の頃から、 『善悪は、とても ハッキリしたものだ』 というイメージが あったのです。 あらためて 考えてみると、 「どうして自分は、 今まで そんなふうに 考えてきたのだろう…??」 と、首をかしげるのですが… そんな、 「悩める ふき」に、 ネック が 横から こんな話を 切り出しました。 | |
いや、けっこう 難しいもんだよ? 『 善悪 』って… | |
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1つ、問題 を 出してみようか、ふき? 次の場合、 どっちが『善』で、 どっちが『悪』か… あんた 答えてみ? | |
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う、うん。 いいけど? | |
意外な展開に アセりつつも、 ふき は「回答者」として スタンバリました。 | |
『おばあさんが、孫に、 お菓子をあげました』。 さて、 この おばあさんは、 『善』と『悪』、 どっちだと思う? | |
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え!! そ、そんな 日常的なことを 『善・悪』で 考えるの?? | |
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抵抗があるなら、 「善・悪」 じゃなくて、 『 良い・悪い 』 ぐらいの 軽い感じで 考えてもいいよ? | |
ふき は、 ネック の 言う通り、 とりあえず 『 良い・悪い 』で 考えてみることに しました。 | |
うーん… まあ、 普通に考えれば… 『良いこと』(善) なんじゃないかなぁ。 | |
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おばあさんは、 「お孫さんが 喜ぶ」 と思って、 お菓子をあげて いるだろうし… お孫さんは 当然、 「お菓子が 好き」 だろうし… | |
ふき の 頭の中には、 先日の 管理人さん の、 『 他人が喜ぶことは、 全て、良い行い 』 という言葉が 浮かんでいました。 | |
うん。 これは まあ、 そんなとこだろうね… | |
正解か どうかは 分かりませんが、 ネック は そう言って うなずいています。 |
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じゃ、次ね。 「実は、この子の お母さんは 最近、 子供が虫歯になると 困るので、 お菓子をあげるのを 控えてた」んだって… | |
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だとすると、 おばあさんの やった事は、 『善』と『悪』、 どっちになる んだろうね? | |
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…え? | |
ふき が、ちょっと 固まりました。 ただ、すかさず 頭を働かせて、 こんなふうに 答えたのです。 | |
そ、そうだなぁ… おばあさん自身は、 「子供に喜んでほしくて お菓子をあげた」 んだろうし、 お母さんの そうした 育児方針も知らなくて、 『悪気は 無かった』 のかも しれないけど… | |
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もしかしたら、 「お母さんに とっては」、 おばあさんは『悪』に なっちゃう… のかな? | |
ふき は、そんなふうに 答えながらも、 今まで 疑いもしなかった 「管理人の おばさんの説」に、 ちょっと ヒビが入ったような 気がしました。 ネック は その答えに ニヤリと笑い、 ミューラー も ほほえみながら、 「うんうん」と うなずいています。 | |
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続けるよ? ふき。 じゃあ、 「お菓子を もらう子」本人 から見たら、 どうだろうね? | |
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お菓子が好きな 子だったら、 それをくれる おばあちゃんは 『善』に… | |
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「お菓子なんか 食べちゃいけません!」 と言って取り上げる お母さんは、 自分のやりたいことを させてくれない 『悪』みたいに 感じるんじゃないの? | |
「あ、あれ…?」 ネック の 話が 進むに したがって、 「 善 と 悪 」が、 何度か 引っくりかえっている ことに気づいて、 ふき は ギョッとしました。 そして、 そんな ふき の 混乱に 追い打ちをかけるように、 ミューラー が、 こんなことを 言い出したのです。 | |
さらに、 その光景を 「第三者」が 見たら、 はたして、3人の姿は、 どう映るでしょうね? | |
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『 孫をかわいがる、 良い おばあちゃん 』か、 『 孫の健康を 気づかえない、 悪い おばあちゃん 』か… | |
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『 子供の健康を 第一に考える、 良い お母さん 』か、 『 子供を束縛し、 祖母の気持ちを踏みにじる、 悪い お母さん 』か… | |
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『 自分の欲望に素直な、 良い子供 』か… 『 母親の「子供を思う心」を 理解できない、 身勝手な 悪い子供 』か… | |
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えーと… え…? ええ…?? えええ??? | |
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なんという事 でしょう。 「単体(本人)の 視点」で 考えていたときは、 とても 明瞭に見えた 『 善 と 悪 』が… 「3人 それぞれの価値観」を、 他の2人と 組み合わせたり、 それを見ている「第三者」を 配置していくに したがって、 見え方が、どんどん 変化していってしまう のです… 横で話を聞いていた かみね も 混乱して、 ふき と、ネック、 ミューラー の 顔を、 かわるがわる 忙しそうに 見るばかりでした。 しかし、ふき は 混乱の中にあっても、 かみね よりも早く、 「解答」に 辿りついた ようでした。 | |
もしかして… 『 主観 』が 原因? | |
ミューラー が、 「おお!」と、 うれしそうに 声を上げました。 | |
よく憶えてたね、ふき。 ご名答。 | |
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『 善とか 悪 』って ほんとは、 『自分にとって、 得か? 損か?』 ってだけの、 すごい単純で 分かりやすいもの のはず なんだよね。 | |
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しかし、「主観」… 『 DNA の 生存本能』 による ものの見方 は、 言うまでもなく、 「誰もが、それぞれに」 持っています。 | |
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そのため、 ある物事に かかわっている 人間さんの数が、 2人 3人… と 増えていく に したがって… | |
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主観と 主観が ぶつかり合って、 『善悪の見え方』も どんどん複雑で 不明瞭に なってしまう のです… | |
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( それで、さっきの話は、 登場人物が 増えるにしたがって、 善悪が アイマイ に なっちゃったのか… ) | |
自分自身の「気づき」と、 ネックたち の 解説で、 ふき も ようやく 混乱を脱しました。 かみね も 遅ればせながら、 理解に達したようです。 | |
DNA が、 「自分自身の生存確率を 上げるもの」… つまり、 「自分にとって 得と 感じられるもの」を 『最高の 善』と 認識し、 その DNA が 生物 それぞれの中に、 入っている 以上… | |
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「善悪の 見え方」は、 それこそ、 『 この世の生物の数と 同じぐらい、 さまざまに存在する 』 と 言えます。 | |
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それが つまり… 『 この世の 善悪が、 アヤフヤで 流動的 』 である 理由だったのです。 | |
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ふき は、 ミューラー の 結論に 耳を傾けつつ、 学生時代や、 今の会社での、 自分の周りの人々 のことを 思い出していました。 そこで出会った人々との 間にあった、 数々の 「難しい 人間関係」… その正体が、 自分の中の DNA を通して 見えている『 善悪 』を、 普遍的な(誰にでも通じる) 絶対のものだと 妄信した者同士 の、 『終わりのない 食い違い』 だったのだと 気づいてみると… ふき は、 自分たちの中の 「DNA」の 存在が、 恐ろしくさえ 感じてくる のでした… そして、 『 他人が喜ぶことは、 全て、良い行い(善)』 みたいな 聞こえのいい言葉 に、 深く考えもせずに、 「感動」してしまっていた 昨日までの自分が、 恥ずかしくも なってくるのでした… |
永遠に変わらぬ「善悪」 などというものは、 存在しません。 ですから、 皆さんの人生の その 瞬間 瞬間 において、 『その時点で 「最も ベター」と 思われる善悪』 を、常に必死に 探し続けていって くださいね。 変な言い方に なってしまいますが、 常に「現在の 善悪」を 探し続ける人こそが 真の『善』であり、 それをあきらめ、 思考停止に陥る人こそが 真の『悪』 なのではないか…? と、 ときどき 私は、 思うことがあるのです。 |