サイト『生きる意味の「正体」教えてやるにゃー』
第4章『「DNAの生存本能」で「しあわせ」を考える』
『実は しあわせではない人』の、言動の特徴


■『実は しあわせではない人』
の、言動の特徴(3/3)


『目クソが 鼻クソを笑って
満足しているとか、痛すぎw』





あとね。

ふき は やたらと、
「自分は 中流だ 中流だ!」
とか 言ってたけどさ…





あたしが 公園で
見てきた人間や、

その人たちの独り言なんかを
聞いてるかぎり、

あんたなんざ せいぜい、

『 10段階の、
下から3あたり 』

だかんね。





ぼ、僕は、
真ん中より下
なの??





愕然とする ふき でしたが、

ミューラー は 静かに
うなずいています。





そう思います。

「人間さんの社会」
というものは

だいたい、
『一部の 支配階級』と、
『それ以外の 人々』によって
構成されているものですが…





それを
「10段階」で 表すと、

最も高い
「10」や「9」の人々は、
ごくごく ごく一部 で、

「8〜5 ぐらい」の
中流の人々が
そこそこの数





そして
それより下の、

4・3・2・1… に あたる
低層の生活
している人々が、

世の中に、大量に
あふれかえっている…


というのが、
実状だそうです。





人間さんの世の中って、

そんなふうに
なっているんですね…




「社会」というものを持たない、
「神さま」である かみね は、

驚きながら
つぶやきました。





ふきくんは、
低所得層の人々 の 中で
暮らしていますから、

ご自分の 暮らしを

『平均的・中流』ぐらいに
お感じになっていたかも
しれませんが…





それは あくまで
『低所得層における 平均的生活』
であり、

ネックさん の
おっしゃる通り、

社会全体から見れば、
『 10段階の 3あたり 』

妥当な線では
ないでしょうか?





「自分は 中流だ!」
と 思うことが、

心の支えの1つだった
ふき には、

これは、
ショックすぎる話
でした。








だからさ。

あんたが 必死こいて、
「自分より ちょっと貧乏な人や、
派遣やアルバイト、
高卒・中卒の人たち」を
あざ笑って喜んでる姿
って、

はたから見てて
本っ当に『痛い』わけよ…





『なに こいつ?

目クソが 鼻クソ笑って、
満足しちゃって
るんですけど?』


みたいな?





そう。 たしかに ふき は、

いつだったか ネック に、
そんなことを言われて
おりましたっけ…













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『「少し幸福な 奴隷」が、
「少し不幸な 奴隷」をあざ笑って
「いつわりの安心感」を
得ようとする、今の社会』





ネック の 話を受け、

ミューラー
悲しそうに うなずきながら、
こう 言いました。





私も、

ある人間さんの、
「こんな言葉」
拝見したことがあります。





今の 世の中は、

「少し幸福な 奴隷」が、
「少し不幸な 奴隷」を
あざ笑うことで、

『結局 自分も奴隷である』
という
「根本的で悲しい現実」から
必死に目をそむけている…


そんな世界 なのだと。





私には
そのような行為、

「しあわせ」どころか、
「不幸」以外の
何物でもない、

単なる『逃避』
としか、

思えないのですが…






「10段階の 下から3」が、
「10段階の 下から2」
あざ笑うとか、

はたから見たら
ギャグだよね。





あんたら、どっちも

『底辺』であることに
変わりないでしょうが?







『 自分は、
自分を「しあわせ」だと
信じ込むために、

「似たレベルの他人」を、
無理矢理
ダシに使っていた 』…




ネックたち に クレーム
つけてやるつもりが、

逆に 痛烈な
カウンターパンチ

を 食らい、

ふき は もう
フラフラでした。








そんな彼に、

ネック は、
こう 付け加えたのです。





ちなみに だけどさ…

ふき が、あの日の夜、

公園 で あたしと
会ったとき…





『しゃべる猫』の
あたしから逃げずに、
討論に乗ってきた
のも、

そこに
理由があると思うよ?





…ど、どういう意味?

ネックさん。




  









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『「事実」だったからこそ、
激怒してしまった ふき』





「あんたにとって」は、

「不幸者」って言われるのは、
ものすごく ツラいこと…

認めたくない『事実』に
グサリと 直撃

だったわけよ。





だから、

猫が しゃべってるっていう
「恐怖」
よりも、

自分を「不幸者」って言われた
『怒り』のほうが 上回って、

あんたは、あたしに
挑んできたわけ。





もちろん あたしも
「それを見越して」、

「あえて」あんたを
『不幸者』呼ばわりした

んだけどね…


アンダスタン(分かった)?
ふき






そう言うと ネック は、

「あははは」と、
ほがらかに 笑いました。



今 思えば、
あの夜の ネック の 笑顔は、
『してやったり』の
会心の笑み
だったのです。







『まさか、そこまで…

計算ずく だったとは…』




カウンターパンチが
足に来ていた ふき は、

この最後の
強烈な ストレート
まともに食らい、

白目をむいて
床に倒れこんだのでした…





   





今の世の中、

ネットなどを通じて
「日々の 自分の しあわせ」を
語りたがる人間さん

本当に増えましたよね。


その一方で、

ほんの冗談でも 自分のことを
「不幸」呼ばわりされると、
信じられないほど激怒する人
も、
増えた気がします。


そこに わたしは、
『今の人間さんたちの
悲しい 心の奥底・本心』

を 感じてしまうんです…



「自分は 決して、
不幸ではないのだ」

「自分より不幸な人は
いくらでもいる。
それに比べれば…」


などと 自分自身に
言い聞かせることで、

ツラい現実から目をそむけ、
必死に 自らをダマそう
とし…


あげくに、
「そんな 自分のウソを
指摘する(指摘してくれる)
他人」
が あらわれると、

『思いやりの無い 人間!』
と 称して「敵」あつかいし、
攻撃・排除しようとまでする…



考えてみれば、
恐ろしいことです。



『本当の不幸』とは、
「不幸な環境」のことではなく

『不幸な「現状」を
直視しようともせず、

他者や社会を攻撃してでも
「自らのウソ」に
安住しようとする、
狂った 幼児性

にこそ あると、

私は 思わずにおれないのです。





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