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第4章『「DNAの生存本能」で「しあわせ」を考える』→ 『実は しあわせではない人』の、言動の特徴 |
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あとね。 ふき は やたらと、 「自分は 中流だ 中流だ!」 とか 言ってたけどさ… | |
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あたしが 公園で 見てきた人間や、 その人たちの独り言なんかを 聞いてるかぎり、 あんたなんざ せいぜい、 『 10段階の、 下から3あたり 』 だかんね。 | |
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ぼ、僕は、 真ん中より下… なの?? | |
愕然とする ふき でしたが、 ミューラー は 静かに うなずいています。 | |
そう思います。 「人間さんの社会」 というものは だいたい、 『一部の 支配階級』と、 『それ以外の 人々』によって 構成されているものですが… | |
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それを 「10段階」で 表すと、 最も高い 「10」や「9」の人々は、 ごくごく ごく一部 で、 「8〜5 ぐらい」の 中流の人々が そこそこの数… | |
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そして それより下の、 4・3・2・1… に あたる 低層の生活 を している人々が、 世の中に、大量に あふれかえっている… というのが、 実状だそうです。 | |
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人間さんの世の中って、 そんなふうに なっているんですね… | |
「社会」というものを持たない、 「神さま」である かみね は、 驚きながら つぶやきました。 | |
ふきくんは、 低所得層の人々 の 中で 暮らしていますから、 ご自分の 暮らしを 『平均的・中流』ぐらいに お感じになっていたかも しれませんが… | |
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それは あくまで 『低所得層における 平均的生活』 であり、 ネックさん の おっしゃる通り、 社会全体から見れば、 『 10段階の 3あたり 』が 妥当な線では ないでしょうか? | |
「自分は 中流だ!」 と 思うことが、 心の支えの1つだった ふき には、 これは、 ショックすぎる話 でした。 | |
だからさ。 あんたが 必死こいて、 「自分より ちょっと貧乏な人や、 派遣やアルバイト、 高卒・中卒の人たち」を あざ笑って喜んでる姿 って、 はたから見てて 本っ当に『痛い』わけよ… | |
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『なに こいつ? 目クソが 鼻クソ笑って、 満足しちゃって るんですけど?』 みたいな? | |
そう。 たしかに ふき は、 いつだったか ネック に、 そんなことを言われて おりましたっけ… |
ネック の 話を受け、 ミューラー も 悲しそうに うなずきながら、 こう 言いました。 | |
私も、 ある人間さんの、 「こんな言葉」を 拝見したことがあります。 | |
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今の 世の中は、 「少し幸福な 奴隷」が、 「少し不幸な 奴隷」を あざ笑うことで、 『結局 自分も奴隷である』 という 「根本的で悲しい現実」から 必死に目をそむけている… そんな世界 なのだと。 | |
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私には そのような行為、 「しあわせ」どころか、 「不幸」以外の 何物でもない、 単なる『逃避』 としか、 思えないのですが… | |
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「10段階の 下から3」が、 「10段階の 下から2」を あざ笑うとか、 はたから見たら ギャグだよね。 | |
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あんたら、どっちも 『底辺』であることに 変わりないでしょうが? | |
『 自分は、 自分を「しあわせ」だと 信じ込むために、 「似たレベルの他人」を、 無理矢理 ダシに使っていた 』… ネックたち に クレームを つけてやるつもりが、 逆に 痛烈な カウンターパンチ を 食らい、 ふき は もう フラフラでした。 そんな彼に、 ネック は、 こう 付け加えたのです。 | |
ちなみに だけどさ… ふき が、あの日の夜、 公園 で あたしと 会ったとき… | |
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『しゃべる猫』の あたしから逃げずに、 討論に乗ってきた のも、 そこに 理由があると思うよ? | |
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…ど、どういう意味? ネックさん。 | |
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「あんたにとって」は、 「不幸者」って言われるのは、 ものすごく ツラいこと… 認めたくない『事実』に グサリと 直撃 だったわけよ。 | |
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だから、 猫が しゃべってるっていう 「恐怖」よりも、 自分を「不幸者」って言われた 『怒り』のほうが 上回って、 あんたは、あたしに 挑んできたわけ。 | |
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もちろん あたしも 「それを見越して」、 「あえて」あんたを 『不幸者』呼ばわりした んだけどね… アンダスタン(分かった)? ふき。 | |
そう言うと ネック は、 「あははは」と、 ほがらかに 笑いました。 今 思えば、 あの夜の ネック の 笑顔は、 『してやったり』の 会心の笑み だったのです。 『まさか、そこまで… 計算ずく だったとは…』 カウンターパンチが 足に来ていた ふき は、 この最後の 強烈な ストレート を まともに食らい、 白目をむいて 床に倒れこんだのでした… |
今の世の中、 ネットなどを通じて 「日々の 自分の しあわせ」を 語りたがる人間さん が 本当に増えましたよね。 その一方で、 ほんの冗談でも 自分のことを 「不幸」呼ばわりされると、 信じられないほど激怒する人も、 増えた気がします。 そこに わたしは、 『今の人間さんたちの 悲しい 心の奥底・本心』 を 感じてしまうんです… |
「自分は 決して、 不幸ではないのだ」 「自分より不幸な人は いくらでもいる。 それに比べれば…」 などと 自分自身に 言い聞かせることで、 ツラい現実から目をそむけ、 必死に 自らをダマそうとし… あげくに、 「そんな 自分のウソを 指摘する(指摘してくれる) 他人」が あらわれると、 『思いやりの無い 人間!』 と 称して「敵」あつかいし、 攻撃・排除しようとまでする… 考えてみれば、 恐ろしいことです。 『本当の不幸』とは、 「不幸な環境」のことではなく 『不幸な「現状」を 直視しようともせず、 他者や社会を攻撃してでも 「自らのウソ」に 安住しようとする、 狂った 幼児性』 にこそ あると、 私は 思わずにおれないのです。 |