サイト『生きる意味の「正体」教えてやるにゃー』
第11章『人間は、地球最後の「はかない希望」』
地球生物が 生き残るために、
『しあわせ』を どう活用するか?



■ 地球生物が 生き残るために、
『学歴』を どう活用するか?


『意味の無い(実用性の低い)
学歴から、
意味のある(実用性の高い)
学歴への移行』


執筆日 2020年 07月30日   最終更新日 2020年 07月30日





次は、
『学歴』ですね?

人間さんたちの「知性」…
「文明」
向上させるために、

これを どう
活用するか
ですが…




かみね の 言葉に、

ふき
首を傾げました。





不思議だなぁ…

『学歴』って、本来
一番「文明の 向上」
つながりそうなのに…


何か、そんな実感が
ないんだよ。





それは、現在の
この国の「学歴」
が、

ほとんど
『就職を有利にするためのもの』
としか 機能していない

からではないでしょうか?





たしかに!

 



皆が「より高い 最終学歴」を
欲しがる理由
も、

ほぼ そこにあります。




本来『学問』とは、
自分の知性を高めるための
自発的な行動

であったのに、


今の世の中では
「自分のガマン強さを示して、
就職を有利にするためのもの」

として、

『悪い意味で 義務化』
してしまっていることが…


こうした 本末転倒
生んでいるのかも
しれません。








…という事は、
この国の『学歴』は、

「個人の就職」を
左右する
程度で、

「人類の文明の向上」には、
ほとんど 貢献できない

ってことなのかなぁ。





ふきが 寂しそうに
つぶやくと、

ミューラー
こんな話を始めました。





たしかに
「現時点では」
難しい
と思います。

ただ、前に お話しした通り、
就職して「仕事をする」ことは、

『社会・文明の発展』に
直接かかわっていく、
とても重要な行為
です。





ですから 逆に、

『学歴は、
就職のためのもの』

と 割り切って
考えてみる
事で、

「改善の道」
見えてくるのでは
ないでしょうか?





『学歴』の 改善の道

ですか?





はい。

これも 以前に
「学歴の 問題点」について
話し合ったとき、

本人の実務能力を
正確に表していない学歴に、
意味は無い


といった お話を
させていだいたことが
ありましたよね。





ふきたちが
うなずきました。

  





ならば、
「逆」に 考えるのです。


「本人の能力を
正確に表した学歴」


『その本人の持つ「特性」や、
「具体的な実務能力」を
表した学歴』

学校側が示せる
ようになれば…





就職における
会社と学生の間の
「食い違い」も 減り、

両者の よりスムーズな
マッチングが可能
となり、

『社会の発展』を
加速できる





つまり、

学歴に
『意味』が 生まれる


のではないでしょうか?





弱点 が 明確に
分かっているなら、

「その逆を行くことで」
解決策を見出す

わけですね?




ミューラー が、
ほほえみながら
うなずきました。


  









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『学校で習得した「技能」に
スポットを当てた学歴による、
学校システムの変化』





具体的には、

「どこの学校の
どの学部を卒業したか?」

だけでなく、

『そこで何を習得したか?』
についての詳細が
明確に分かるデータ

が 必要です。





本目的 は、
「就職」の スムーズ化


『ご本人の能力を、
どのように社会の中で
活かしていくか?』


見極めること
なのですから。




 






また、
「義務教育」ではない
高校・大学 であれば、

「規定数の単位が取れなければ
進級・卒業させない」

というのではなく…





入学後、
「規定年数」を 過ぎれば、
本人の意思で 自由に
卒業させて良い
と思います。

(もちろん、本人が望めば、
納得いくまで在学しても OK)





それこそ、

その学校で学べることの大半を
早期に習得できた 学生さん

については、

「規定年数に
達していなくても」
卒業を認めて良い

と思うのです。





ただ、ここで
間違ってはいけないのは…

「規定年数以上での 卒業」
(「飛び級」ではない、普通の卒業)
に 関しては、

学校側は「卒業者の能力を
保証しなくても良い」

という点です。





学校は あくまで
「学びの場の提供」
本目的であり、

そこで何を習得したか?
習得できたか? は

『学生さんの 自己責任』
というわけです。





実のところ、

ミューラー
話している内容は、

外国などでは
すでに導入
されており、

わが国でも 一部で
実施されている
そうです。





ただ、
国内では まだまだ
メジャーではなく、


まだまだ
うまく機能していない…


というのが
現状のようですが…








大切なのは あくまで、

『本人が その学業生活で、
どういった能力を
習得してきたか』
です。





浅く広い知識を
まんべんなく
持っている
も良し、

一芸に深く秀でている
(苦手もある)
も良し、

なのです。





『その能力を、
社会で どのように活かして
生き延びていくか?』
は、

本人の考えること
であり…





『その能力を、
会社内に どのように組み込んで
利益に替えるか?』
は、

企業が考えること
だからです。





「良い 最終学歴を
持っていれば、


それなりに良い会社に
就職できる(はず)」


といった 流れ・価値観
慣れてしまっている
ふき にとっては、


少し怖い というか
不安にもなる
改良案ですが…






「ゲーム業界」という
実力主義の業界
身を置いて、数年たっている
こともあってか、

『全然 受け入れられない話』
ではない
のも 事実です。



というか、

学生くんたちの
「習得してきたもの」

が 分かれば、

新人採用をすることもある
自分にとっては、

従来の負担が
グンと減ることにもなる

でしょう。







何より、

そうした
『具体的なデータ』が
無かった・乏しかった

ばかりに、


やたらと 面接に
時間や回数が かかった
り、

就職後に判明した
食い違いによる
大きな苦労をしょいこむ

といった問題は…



他ならぬ ふき本人が、

「就職希望者」と
「面接担当者」の 両面で
経験させられてきた事

なのですから…


 









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『学校システムの変化が、
この国の未来を拓く
(かもねw)』





そして ふきは、

フト気がつきました。




そうか…

今まで 履歴書に
書かれていた「学歴」
が、

(適切な表現かは
分からないけど)

『職歴』や『実務経験』と
同じような扱い

なるわけですね?





「過去に どこの会社に
勤めたか?」
ではなく、

『勤めてきた会社で、
どんな職種を経験して、
どんな実績で
会社に貢献したか?』を
自己アピール
するような…





ミューラー
うなずきました。





その通りです。

現在では、そうした
「自己アピール」は、

別途、学生さん本人が
作成する
わけですが…





それに近いものを
学校側から 簡易データで
企業に提供できる

ようになれば、

学生さんも、
企業採用者も、

グンと 負担が軽くなる
のではないでしょうか?





もちろん、
学校側の負担は
増えてしまいます
が、

それは結局、

『今までの「学歴」が、
個人の能力を
うまく表せていなかった』

ことが要因ですから…





そこは 少しばかり、
教育関連の方々に
骨を折っていただく

必要があると思うのです。


この国 や、

人間さんたちの
「未来」
のために…






大学が…

それにともなう
高校・中学・小学校 が、

そうした
『本人の特性を重視した 学歴』
に 替わるとしたら…



間違いなく
「テスト」や「受験」
といったシステムも
様変わりしていく

ことでしょう。






もしかしたら、
小・中・高・大学の
修業年数が変わる

かもしれませんし、

混乱も ある
と 思います。



さらに、
「飛び級」に 関しては、

この国に蔓延している
『過度な 平等意識』も、
障害になってくる

予想されます。







でも、

それを乗り越えることで
この国の学歴に
「キチンとした意味」が
生まれれば…




とにかく学校を「卒業」して
『学歴』を 得る、

そのことばかりが
本目的化 して、

本来 最重要である
『何を習得したか』が
置き去りになって
しまっている


そんな この国の
「当たり前」が、
変われば…






きっと
「この国の 文明度」は
上がり



それは
『この国自体の
生存確率の 向上』


ひいては
『地球脱出を可能にする
文明への到達』

一助となるでしょう。





そんな
『未来の わが国の学校』
の 姿を想像して、

ふき は そこに、
かすかな希望の光
見るのでした。


  






ちなみに
ミューラー は、

こんな事も
言っておりました。





これは『学歴』とは、
ちょっと異なる話
なのですが…


子供たちに もっと、
「将来」や
「社会に出た自分」を
考えさせる機会

作ることも、

重要ではないかと
私は考えています。





「社会において、
自分のどういった能力を
提供して生きていくか?」

を 本人に考えさせることは、

今後の自分の「人生設計」にも
具体性 を生み、

「何を学んでいくべきか?」を
真剣に思考する
キッカケ や 訓練
にも
なるはずです。





『記憶すること』は、
あくまでサブの能力です。


人間さんの 本質 は、
『自ら 考えること』
だと、
自分は確信しています。




  






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